2011年7月21日木曜日

悪態をつくと痛みに耐えられる?

キール大学の研究者から最近、以下のような報告がなされました。

ボランティアに手を氷水につけさせ、その間、人を呪う様な悪態を言わせ、
どれくらい長い間手を氷水につけていられるかを測定した。
次にボランティアが無害で、「清潔な」言語を暗唱している間、
どれくらい氷水につけていられるかを測定した
その結果、悪態をついたほうが4倍長く氷水に手を漬けていられた。
このことから悪態をつくことは痛みを鈍くする効果があることが判明した。

…ということですが、
ひょっとすると人間が悪態をついたりや暴言を吐くのは、
肉体的、心理的苦痛にかかわらず、苦痛に対する逃避行動としての
自然な行為と言えるのかもしれません。

落語のほうには「小言幸兵衛」とか「小言念仏」とか
小言を言うのが趣味のような人が出てくる話がある。
とにかく周りの人間に朝から晩まで小言を言ってなきゃ気がすまない。
性格の悪い人は長生きするなんてことをよくいいますが、
そういう人は悪態ついて、ストレスを溜めこまないんでしょうな。

でもねえ…、まわりはたまったもんじゃない。
一人の利益が多数の不利益を生むのですから、社会的に見れば害悪ですな。

みなさんも悪態や小言はほどほどに…

2011年7月8日金曜日

葛根湯医者

江戸時代には「葛根湯医者」ってのもいた。

誰が来ても葛根湯しか出さない医者の事です。
現在でも葛根湯は薬局なんかで売ってます。

強い薬は、毒になることがある。副作用もあるし、
処方を間違えば、病状を悪化させる事もある。

そこで「葛根湯」です。
これは、副作用が少なく、悪影響が出にくい。
頭が痛くても、腰が痛くても、おなかが痛くても、目が痛くても
「葛根湯おあがり」ってなわけです。

ただ、科学的根拠の少ない医療の中で、このやり方は
あながち間違いともいえません。

ヒポクラテスは言いました。
「患者に利すると思う治療を選択し、害と知る治療を決して選択しない」

葛根湯医者は医療過誤をおこしにくいという点で、江戸時代の
他の医者よりも優れていたと考えられます。

この時代の「利すると思う治療」の効果はあいまいで、
かえって悪化させることも少なくなかった。
利害のバランスを考えると、下手な事をするより
「害かもしれない治療を決してしない」に徹するほうが正しい。
そう考えた医者が「葛根湯医者」になったのではないのでしょうか。

薬をもらっただけで安心してよくなる人もいます。
「葛根湯医者」は本当に効果のある治療がはっきりしない時代においては
名医だったといえるかもしれませんね。

2011年7月6日水曜日

手遅れ医者

江戸時代には、「手遅れ医者」なんてのもいた。
患者の顔を見るなり
「ああ、これはもう手遅れだ!」と宣告してしまうんです。

もし患者になにかあったときは
「先生が手遅れと言ったんだからしょうがないよ、あきらめよう」
となるし、もし治ったらば
「あの先生は手遅れの患者を治した!名医だ」
と評判になるというわけでして

現代の外科においては、手術の成功率というのが名医の条件に関わってきます。
重症患者の難しい手術ばかりしている先生は
簡単な手術をしている先生よりも成功率自体は低くなります。
しかし難しい手術を行なっている先生の中での成功率が低くなければ
「やぶ医者」と言われることはありません。

ところが江戸時代は、細菌による感染症など治せない病気がたくさんあった。
ただ病気の重さを判断する基準もなかったので、
ひどい患者ばかり診ていれば、当然治らない人も多い
「あそこに行っても治らないよ、ありゃあやぶ医者だ」
てな具合になる。そりゃ困る。おまんま食い上げだ。

そこで先手を打って「手遅れ」、つまり重症であると宣告してしまえば
悪い結果でも免責され、良い結果なら評判になるという寸法。
これは医学の実効性が少ない中で考えた知恵といえます。

でも… 言われたほうはたまったもんじゃないですよ。
「ああもう私の人生おしまいだ」って
手遅れと言われたショックで多くの人は病状が悪化したんじゃないでしょうか。

現代においても、重症患者を引き受けたがらない医療、
医療従事者の言葉が患者に「絶望」を与えてしまうような医療が散見されます。
現代医学でも治せない病がある、という現実が、そうした問題を
引き起こす主な原因になっています。
医師、患者、社会が「病」という現実をどのように受け入れていくことが正しいのか
これからも考えていかなきゃいけません。

2011年7月1日金曜日

でも医者

本日は、昔のお医者さんの話をひとつ。

落語に、「でも医者」というのが出てきます。
他にやることがないから「医者にでもなるか」というわけです。
江戸時代は資格というものがありませんので、道具さえあればすぐにやれたんだそうで。


    
    
      こちらは志ん朝師匠の「代脈」のCD。
      マクラに「でも医者」が出て来ます。







ただいくら資格がないとはいえ、見立て(診断)、薬の処方、療養生活の指導が
全くのでたらめでは、当然間違いごとが絶えません。
有名な先生に弟子入りして修行する人も少なくはなかった。

江戸時代の医者と現代の民間療法は似ているところがありまして

民間療法ってのは、鍼、お灸、整体、カイロ、気功、ホメオパシーといった
現代西洋医学にもとづかない療法のことです。
代替療法という言い方をすることもありますな。

ご存じでない方もいるかもしれませんが、
 
国家資格ではない民間療法は、やろうと思えば素人さんが明日からでもやれます!

「整体を私も見よう見まねでやってみるか」
「ひらめいた!○○健康体操とかやったら今うけるかも」

ということを何の勉強もしないで始めたとしても、それを規制する法律はありません。
まあ上のような人は、いろんな「間違いごと」を起こしますので、長くは続きませんが…

実際には勉強をしてから始める人がほとんどです。
しかし厳密な資格制度のない世界なんでホントにいろんな人がいる。

こういうことは民間療法を受ける前に知っとかなきゃいけない。