2011年12月26日月曜日

食べる前に飲む!?

師走になるとやってくるCMがあります。

「食べる前に飲む!」なんてやってるアレです。

忘年会などの多いこのシーズン、
飲みすぎ食べすぎからくる胃もたれを防ぐために、
先に〇〇漢方胃腸薬を飲んでおこう、というわけです。

私にも身に覚えがありますが、
わかっていても飲みすぎたり、食べ過ぎたりしてしまうことはあります。

でも胃腸薬を飲んで、暴飲暴食をする、というのはやっぱり本末転倒ですよね。

「つきあいの多いこの時期だから…」とか言いますけど、
胃を痛めるほどの食べっぷり、飲みっぷりを見せる、
というのも、いかがなものかと。

付き合いの席で、飲みすぎたり食べ過ぎたりしたことが、
病を引き起こす一因になったとしても、責任をとるのは自分自身なわけでして。
そこんところを気をつけなくちゃあいけません。

2011年12月21日水曜日

「たけしのみんなの家庭の医学」で紹介された腰痛の本当の原因

 昨日のたけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学』は
「長く治らない症状、本当の原因をもう1度探ります」と題したスペシャルでした。


最初に取り上げられたのが「腰痛」。
ついに民放も「ためしてガッテン」に続くのかと。ほのかな期待。
(腰痛の常識を否定した「ためしてガッテン」の記事はコチラ)


「治らない腰痛の原因は、腰ではなく○○にあった」というテロップを出しながら、
再現VTRで、ある方の腰痛の原因を追っていきました。
最初の整形外科の診断は「腰椎すべり症」。
投薬やリハビリを続けてもよくならず、ある朝ちゃんと立てない状態に。


そして大学病院でセカンドオピニオン。
ついた病名は「脊髄腫瘍」。
第十胸椎という腰より少し上の部分にできた腫瘍が痛みの原因だったのでした。
結論、「腰痛の本当の原因は脊髄腫瘍だった!」 (`・ω・´)キリッ


ズルッ(ノ_ _)ノ
…TVでそれをやりますか。


今日あたり、日本中の整形外科は検査の予約で、てんてこ舞いかもしれません。


この番組、以前は『最終警告! たけしの本当は怖い家庭の医学
というタイトルで放送していました。
何万人に1人という病気を取り上げては、
そのまま放って置くと、大変なことになりますよなどと言うことから
視聴者の不安をあおっていると、医療関係者の間でも評判がよいとは言えない番組でした。
そうした批判もあってか、番組のタイトルも変更し、
健康増進を中心にした番組にしたところ視聴率は激減。
それで以前のような番組にもどりつつあるのでしょうか。


脊髄腫瘍に関するデータを調べると、発症率は10万人に1~2人とされています。
そのうち腰痛を引き起こしているものは、さらに限られているはずです。
もちろん何十万分の1でも、なる人がいるのは事実。
そうした人が早く適切な治療を受けるのは大事なことです。


10年以上前のことですが、私が修行していた整体院に
「脊髄腫瘍」の方がみえたことがあります。
もちろん脊髄腫瘍かどうかはわかるものではありませんが、
動きや症状をみると、通常では起こりえない異常がありました。
すぐに精密検査を受けるように勧めましたが、いろんなところで検査しても、
原因がわからず、「脊髄腫瘍」が見つかったのは半年程してからでした。


番組に出演した先生にみてもらっていれば、もっと早くわかっていたかもしれません。
首の痛みや腰痛の原因として「脊髄腫瘍」があることを、医師は知っておく必要があります。


しかし「脊髄腫瘍による腰痛」は、極めて稀なケースであるという事実。
このことにほとんど言及しないで、腰痛の本当の原因は脊髄腫瘍だった」
TV番組で放送する事が正しいことといえるのでしょうか。


不安を煽られた人たちは、全くリスクがない状態でも、
検査をするまで納得しないかもしれません。
全国の良心的なお医者さんは
「滅多に無い事で、あなたの症状なら検査しなくても大丈夫です」
と説得するのに苦労していることでしょう。
「不安なら検査しましょう」とバンバン検査しているところもあるかもしれませんが。

そして出演された先生は「ヘルニア」に関して、「自然消失すること」は認めていましたが、
腰痛原因としては肯定していました。

医学界でコンセンサスが得られていないのは、よくあることとしても、
「ためしてガッテン」などでヘルニア原因説の矛盾が社会的に明らかになっている以上
「ヘルニア」を腰痛原因とするならば
「痛みのない人にもヘルニアがある」
「手術をしてもよくならない人がいる」
という事実に対してきちんと答えるべきだと思います。
今回の「腰椎すべり症」は腰痛と全然関係なかった、ということも完全にスルーしてましたし。

結局、何十年も変わらない「しばらく様子を見て、治らなかったら手術」では、
どんなに低侵襲(ダメージの少ない)の手術だとしても、
「都合の悪い事実から目を背けている」
と、信頼されないと思うのですが。

2011年12月12日月曜日

昨日はチャリティー落語会、ありがとうございました

昨日はご近所さんのスタジオ dolce nodoにてチャリティー落語会。
いっぱいのお運び、誠にありがとうございました。
御婦人方が多かったのですが、若い学生さんも楽しんでくれたようでして。


会が終わった後に、1人の学生さんが興味を持ってくれたみたいで、
「最初に覚えた落語はなんですか?」って、聞いてくれまして
なんともうれしいですねえ。
大工調べ…って言ってもそりゃ知らないよね。


私が落語が好きになったのは、小学1,2年生のとき。
親が好きで寝るときに落語のテープが必ずかかっていました。
その頃聞いていたのが、春風亭柳橋師匠の「時そば」。
他のテープもあったのですが、365日ほとんど「時そば」を聞いていました。
そこでだんだんと落語の面白さにはまっていきました。


まず何度聞いても飽きない。
これが本当に不思議。
漫才やコントなんかは2,3度見れば飽きてしまうのに、
落語は何べん聞いても同じところで笑ってしまう。


飽きの来ない落語の笑いは、物語の奥深さもさることながら、
「言葉の調子」という旋律の心地よさにあると思います。


自分の考えたマクラ(本編の前フリの話)がドカンと受けると、やっぱり充足感はあります。
それでも落語の本編のほうがキチンと受けてもらえると、
自分が子供の頃に最初におもしろいと感じた、
古典の「言葉の調子」も伝えることができたのかな、とうれしくなります。


思い出したり、考えながらやっていると、
なかなか「調子」はつかないので稽古が大事なんですが、稽古の時間も限りがありまして、
今はあまりネタを増やさないようにして、この辺は調節しています。


今回は50人、今年は多い時は120人の前で、毎月の講座は十数人と、
それぞれ楽しくやらせて頂いています。
人数や年齢層が違う事でいろいろと発見があり、やっていて実に面白いですな
私はそんな風に落語をやれる日が来るとは、思ってもみませんでした。
落語だけに帰属していたら、こうはいかなかったかもしれません。


それにしても今回の会場は素晴らしいところで、
岡崎イオンから数百メートルの場所なのですが、
緑に囲まれて、閑静な、とても雰囲気のある
音楽教室のホールでやらせて頂きました。


寺尾先生を始めスタッフの皆様方、
本当にありがとうございました。

2011年12月1日木曜日

ピンピンコロリと日本人

今日は健康のお話。

みなさんPPKってご存知ですか?ワルサーPPK(007の拳銃)じゃありませんよ。

ピンピンコロリの略だそうでして。

「毎日ピンピンしていて、ある日突然コロリといく。」
日本人が望む死に方のナンバー1ということで
只今多くの方々に支持されている考え方です。

ピンコロ地蔵なるものもあるそうで、全国から参拝客が引きもきらない状態だとか。

なるほど、ピンピンコロリといけば
「病気で苦しみたくない」
「介護で家族に迷惑をかけたくない」
という日本人が恐れる、この2つの事態を避けられます。

しかしピンピンコロリは本当に「幸せ」なのでしょうか。

ヨーロッパではガンで死に至ることを厭わない人が多いと聞いたことがあります。
それは「家族との別れの時間を大切に過ごしたい」からなのだといいます。
そのような死の受け入れ方ができる文化の中では、
ピンピンコロリは忌み嫌うべきものなのかもしれません。

そもそも「ピンピンコロリ」という願望は、果たせる保証はありません。
今は病気もなく、元気で有難い。でもどうなるかはわからなくて不安。
「ピンピンコロリになるといいな」と、ピンコロ地蔵に参拝して、安心する。

果たしてそんな人が死に至る病を受け入れることができるでしょうか。
日本人は3人に1人はガンでなくなります。ガンの多くはコロリとはいきません。
お医者さんもPPK運動を推進するのも結構ですが、
PPKじゃないときに、どのように病気を、死を受け入れるのか、
少なくとも医者は冷静な心で、それを考えないといけないのではないのでしょうか。

最近日本でも「ピンピンコロリはお別れができない」という意見があるせいか、
「ピンピンしてて倒れて、一週間でみんなにお別れして、ニコッとコロリ」がいいね、
なんてことを立派な先生は仰っているようです。


…そんなにうまくいくわけねえじゃねえか!
おっと失礼。
でもこれは願望をただ述べてるだけです。

「日本人は死を受け入れられないから、ガンを告知しない」
としていた90年代以前から何も変わっていないのかもしれません。

実際に「安心」を求めている日本人が多い。
どのみち日本人は死にまつわるシビアな現実を受け入れられない。
だからその時が来るまでの間だけでも、せめてストレスを与えないために、
「とにかく安心させること」は現実に即した、正しい医者の振る舞いである。
というのがお医者さんの本音かもしれません。

けれども本当にこのままでいいのでしょうか。

死を共に受け入れてくれる家族もいない、「死」が個人の恐怖でしかない社会、
最期がそんな孤独で苦しいものになってしまうような社会。
そんな中で、望んだところでどうにもならないピンピンコロリを夢見るという、
現実逃避で安心することは正しいことなのでしょうか

今の「安心」のために、そういうことにきちんと向き合うのを避けていては、
100年経っても何も変わっていないかもしれません。